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新春若手NPO対談 第2部(2−1)

  • Posted by: admin
  • 2013年2月 7日 11:17

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(写真:左から駒宮さん、平野さん、蒲さん、秋元さん、榎本さん、神田さん)

新春若手NPO対談 第2部(2−1)

 新春の18日、岐阜県の若手NPOの座談会を行いました。政権が交代し、先行きも不透明な、あまりにも混迷度が高い時代の中で、「これからの岐阜県はどうなってしまうんだろうか」とか、「そもそも、いまの世の中の何が問題で、それを我々は一体どうしたらよいのだろうか」ということを、地域で活動を展開するみなさんにお話を伺いました。

新春NPO対談 参加者(敬称略・参加決定順)

駒宮博男(NPO法人 ぎふNPOセンター)http://gifu-npocenter.org/
蒲勇介(
NPO法人 ORGANhttp://www.organ.jp/
神田浩史・榎本淳(
NPO法人 泉京・垂井)http://sento-tarui-blog.cocolog-nifty.com/
平野彰秀(
NPO法人 地域再生機構)http://chiikisaisei.org/
秋元祥治(
NPO法人 G-nethttp://www.gifist.net/

<神田>
 これからどうしたらいいのか、名案があったら楽ですよね。
正月には、読みにくい本を読むようにしていて、今年は、セルジュ・ラトゥーシュの本(『経済成長なき社会発展は可能か?―脱成長とポスト開発の経済学―』作品社、2010年。)を読みました。「脱成長」ということを真正面にすえた本で、非常に鋭く、「サステナブル・デベロップメント(持続可能な開発)」自体を否定しているという特徴的な本でもありました。西アフリカでのフィールドワークや、ラオスでの経験が彼のベースになっているのですが、僕自身の考えに、非常に近いなと思いながら、読みました。

  私も元々アフリカで地域開発というものに携わり、 挫折を経験するというのが出発点であります。私たち外部者がデベロップメントに手を染めることによって、その社会をまさに貧困化していくことがひとつの経 験でした。アフリカでもそうでした。東南アジアの少数民族、山岳民族を調査してまわったときも、同じようなことを感じていたのですが、「ゼロ成長とか、マ イナス成長といった、『成長概念』にとらわれること自体が、問題・課題だ」というラトゥーシュの論の立て方は、私にとって、とてもわかりやすかった。

ratoxushu.jpg フランス語からの翻訳本だと言うことと、フランスの知識人をはじめとする思想系譜がずっと辿ってあるので、そのことに対する知識がない僕にとっては、本当に読みにくかったのですが、書かれてること自体は、「成長」という概念から抜け出るということ、しかもデベロップメントということ自体が、たかだか200年弱の経験であって、人々が競争・狂奔している社会の問題点というようなことが、うまく描かれているなということを、読み終えて思いました。

 「デベロップメント(開発)」というもの自体を、これから先、追求しきれない社会に立っているところなのに、更にアクセルを踏もうとするところに無理がある。それなのに、「さらに、そのアクセルを踏めば、何か解決策が出てくる」というところにみんながとらわれすぎている。その幻想をふりまいた者が、選挙で勝つ、というようなことで、つまり選挙に勝ってもその答えに至らないわけですから、当然次の選挙では負ける・・という堂々巡りが続いていると思っています。また、政治の世界に飛び込むということ自体が、選挙というものをみていて、やったことない者が言うことじゃないかも知れないけれども、非常に本質的でない議論が展開されていると思います。

 デベロップメントというもの自体からの解脱・離脱をどうするのか。それ自体は、日本の農山漁村を中心に、今ならまだ息づいている。「息づいている」とまで言うと、言い過ぎかもしれません。今ならまだ、残っているというようなところなので、そういうところに、私たちもどういう風に合流していくのかが大事なところだと思っています。そのつなぎ役・結節点になり得るかどうかというのが、ぼくらが必要とされるか否かという大事なポイントかなと思っています。

<榎本>
 神田さんがグローバルな話をしたあとに、こじんまりした話になるのかもしれないですが、僕は去年の7月13日から垂井のJR駅前で「原発さようなら会」と呼んでいる、脱原発の集会のようなことをやっています。

 最初の呼びかけでは、当初予想していた通り、年配の方で9条の会の関係の方とか、そういう方がたくさん集まって呼びかけをしていたんですけれども、毎週毎週続けていくと、やるたびにメンバーが変わっていく。衆院選の前くらいには、「もしかしたら変わるんじゃないか」という雰囲気が心の中にはあって。「この選挙をきっかけに、住民活動とか、エネルギー政策も含めて、考え方が新しく変わっていくと良いな」と思っていたのですが、結果を見ても、ぼくのまわりの知り合いたちも、「悔しい悔しい」と。「こんな結果になるとは思っていなかった」とずいぶん肩を落としていました。そのギャップから、僕も未だに、「なんでこんな結果になったのかな」というようなことをうまく消化できていない。でも、選挙が終わったあとで、「こんなのは本当の選挙の結果じゃないとか、民意を反映していない」とか言っていても仕方がないので、「何が出来るのかな」というようなことを、少しずつやっていきたいなと思っています。

 ただ、ぼくらがメッセージとして発信したい住民活動や、「こんなことを自分たちは出来るんだよ」という話をよびかけても、おなじ人間にしか伝わらないんですよね。

 いままで垂井は、そういう動きがなかったせいなのか、やるたびに少しずつメンバーは変わっていくんですけど、それでもやっぱり、動きが小さい。あと、あまり地元の人はいない。そのあたりにも、違和感というか、「これで変わっていくのかな」ということをずっと感じています。僕も、特効薬というか、こういう風にやると、ちょっとはうまくいくんじゃないのかというような、良い案があれば知りたいなと思っています。

<秋元>

 最近面白いなと思ったのが「コピペ」です。「コピペ」できることは、ある意味では大変便利なこと、インターネットの良さだと思っています。本当に小さなところでも、「事例を通じて、いろんなところにコピーしていくことができる。あるいはローカライズして展開していくことができる。」ということが、いまのインターネット・テクノロジーの発達の価値だと思っています。したがって、我々は、仕組みを変えるとか、ナショナルに何かを変えるとかではなくて、この地域のあるいはこのエリアの、超部分のイシューを変えるような、しくみ・事業をつくることを通じて、それを一点で突破して、全面展開をしていくと、こういうことかなと思います。

 私どもG-netでは、組織自体を大きくすることはあまり考えていなくて、我々が取り組んでいる事業を、他地域の人々が「やりたい」「よっしゃ、こういう風にやってみてはどうだろうか」ということを提案していく。あるいはノウハウを共有していく。周辺から社会を変えることを意識しています。

 「これからの地域」ということを考えたときに、大事だと思っているキーワードが3つあります。ひとつは「アントレプレナーシップ」ふたつめは「ソーシャルキャピタル」。3つめは「コーディネーション」です。


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 1つめの「アントレプレナーシップ」というのは、手を挙げて行動すること。こういう人が、地域に、日本に、社会に欠乏しているというのが問題だと思っています。選挙もそうかもしれませんが、自分たちの問題だと捉えれば、声をあげたり、行動したり。どの結果を選べばいいかはさておき、自ら手を挙げ行動する当事者意識をもった、リーダーシップをもった人をどう育むかが大きな問題だと思っています。

 2つめに、そういう人たちがよりパフォーマンスを出していくためには、地域の中に、コミュニティの中に、信頼関係があることが重要であると思います。足を引っ張る地域社会なのか、「がんばれよ」と、励ましをする地域社会なのか。「励まし」という「ソーシャルキャピタル」があるかどうかということは、大変大きな分け目になるのではないかと思っています。地域の中で価値観を共有したり、何かをする人を応援したりという関係性、価値観を持ち得ている社会をつくることが重要だと考えています。

 3つめは、「コーディネーション」。基本的に自己完結してパフォーマンスを出せる人はあまりいない。会社もそうだと思っているんですけれども、組織が続いているということは、みんな何かしら、活かされるべき良さや価値があるはず。それはNPO団体でも、サークルでも、存続するということは、何か良さがあるわけでしょうから。それをつなぎ合わせることで、何か高いパフォーマンスを出せることになると思っています。

 そういうことで、「手を挙げて行動できる人をどう増やすか。そういう人たちと一緒に、『何かやろうぜ』という価値観やソーシャルキャピタルをどう育むか。そうした人たちをつなぎ、より高いパフォーマンスを上げていくようなコーディネーションを、どう社会の中でしていけるか」ということが、キーワードかなと思っています。私どもは、社会の中で、ポテンシャルの高い方々をプロデュースしていくような、演出していけるような、そういう存在になりたいと思っております。

<蒲>
 「持続可能な社会をつくるために、持続可能な社会の模式図がもし実現できるとしたら、小地域の中でしか、とりあえず出来ないのではないか」という仮説の元、活動しています。

 たとえば、金華山のふもとの岐阜小学校区というところで、外部の若い人材が入るということが一切なかった地域コミュニティの中で、地縁組織の人たちをエンパワメントしながら、「若い人たちがいかに活躍できる土壌をつくっていくか」とか、「高齢化していく地域に対して、福祉拠点を自分たちの力でつくっていったり」だとか、そういうことをやりました。

 あと、郡上のぼくの故郷である和良村で、合併して以降、地域のガバナンスや担い手がいなくなったといっていいほど、合併によって見捨てられている集落や村が結構あると思っているんですけれども、そういう中で、役場の和良支所の方だけでなく、地域で道の駅をやってらっしゃる方とか、漁業組合とか、そういった担い手の方と一緒に、「和良おこし会議」(http://waraokoshi.com/)という定期的なワークショップと会議をやることで、まちづくり協議会の原型になるようなものをつくるとか、そういうコミュニティ支援が自分の仕事としても出来ないかという実験をしてきました。

 最初G-netでお世話になって関わって、この10年くらいまちづくりに、関わってきました。でも、やっているうちに、地域リーダーが亡くなっていくんですね。この年末、そして正月明けにも、うるさがたが一人、二人と亡くなって・・・地域で、それが本当に民主的な場かどうかはともかく、「自分の意志とか、思いで話す」というカタチで地域にコミットしていったおじさんがたの世代が、亡くなっていっている。

 我々も、若手かもしれないけれども、若者といえる年齢ではなくなってきているなぁってすごく思います。その中で、持続可能な小地域をつくっていくための、地域のなかで資源をどう使うかであるとか、文化をつないでいくとか、そういった「暗黙知の継承」自体がこの5年くらいで不可能になっていくということをすごく感じていて・・・。自分自身は、「持続可能な地域をエンパワメントしながら一人一人の当事者性を引き出してつくっていくことが出来るんじゃないか」という、理想の元、コミュニティの深いところに入っていこうとしたんですけど、それが、担い手自身が内部からいなくなって、内部から瓦解していくというか、自分が描いていたものが実現できないんじゃないかというところに直面しています。 

 一方で、「長良川おんぱく」(http://nagaragawa.onpaku.asia/)っていう、市とか大きい単位での観光まちづくりが、ある意味で成長とか、観光産業の再生とか、儲けていくとか、そういうところをやっていくことで、逆に地域の合意形成が進みやすくなるというようなことも経験していて。自分自身も何がしたかったのか分からなくなっているここ最近なんですけど、根本的には、「自分が生きていくこの地域で、将来的にも、自分の子どもや孫も生きていける地域社会をどうやってつくっていけるか」ということがテーマだと思っていて、そのために、環境もあるであろうし、そういった地域内の資源をいかに活用していくかという生業づくりであるとか、そういうこともテーマだと思っています。ただ、少なくとも、コミュニティに対して、過剰な期待をしすぎていて、それが過剰だったという自覚があって、かといって、捨てられないし。これからの社会で、我々が受け継いでいかなければいけないものや、地域コミュニティでこれまで連綿と続いてきたものを、本当にそのまま再生して受け継げるのかということは本当に疑問がかなり沸いてきた5年くらいでした。 


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新春若手NPO対談 2013年1月8日 於:じゅうろくプラザ
主催:特定非営利活動法人 ぎふNPOセンター

「新春若手NPO対談第1部」
http://gifu-npocenter.org/2013/02/1.html

「新春若手NPO対談第2部(2−1)」
http://gifu-npocenter.org/2013/02/post-30.html

「新春若手NPO対談第2部(2−2)」
http://gifu-npocenter.org/2013/02/2.html


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